山奥の塾で生徒集め

人里離れた山奥の私塾で生徒を集めることになった話

届けられた委任状

玄関のドアをあけると配達人は印鑑を要求してきた。

書留郵便をものぐさに受け取った正太郎は、開封することなく机の上に放り置いた。

銀行からの電子口座にかかわるような内容ぐらいしか心当たりがなかったので、差出人も中身もそれから何日かは見る気にもなれなかった。

 

  数日後、書留郵便を思い出した正太郎は、何気なく開封すると中から見覚えのある字で宛名が書かれた封筒が一通でてきた。

 

差出人は正太郎が人生で一番世話になり恩義のある人物からだったが、ここ数十年以上会っていなかった。

 

”委任状”と書かれた封筒から便箋を3枚ほど取り出すと、手紙の内容をすぐに理解した正太郎は管財人として記載されていた弁護士へ電話をする。

翌日に管財人である弁護士事務所を訪れた正太郎は、ある山奥の建物を譲り受けることを知る。

 

委任状に記載されていたことで大体理解はできていたが、弁護士の話を要約すると正太郎は世話になった恩人である上沼源治の私塾である”飛翔塾”の土地と建物を条件付きで相続することになっているということだった。

 

数か月前に10年務めた総合商社が破産してしまい職をなくした正太郎は、どうしても次の仕事先を決めることができず失業手当の支給も終わりかけていた時期でもあり、会社勤めをしていた時であれば判断に迷うこともなかったが、すこし心が揺らいでいる。

 

 

数日後、正太郎は信越地方の山奥のさびれた平屋の建物にいた。ガスや水道は通っておらず、かろうじて電線がだらしなくつながる木造の小屋といえる場所だ。

その近くには同じく平屋があるが、こちらは母屋の3倍程度の広さの建物で、柔道場のような飛翔塾の学舎だ。

 

木製の丸テーブルの上には、"お願いしたい事"というノートが置かれていた。

1ページ目を開いた正太郎には、ただ一行の委任文が記載されている。

 

『飛翔塾の生徒を5人、5月までに集めてください。達成するまでは次のページは決して開かないこと。 上沼源治』

 

達筆だがどこか人柄を思わせる懐かしい文字でしたためられていた。

飛翔塾とは上沼源治が生前、不登校やハンディキャップ持つ子供、どうしても社会になじめない子供などを受け入れて社会参加できるように育てる支援学校だ。

正太郎はこの私塾で育てられ16歳で独り立ちした飛翔塾の卒業生だ。

 

それから数十年、飛翔塾には戻る事はもちろん手紙を書くこともなかった。

どうしても、この塾での厳しい生活を思い出すことから避けていたのだ。

 

昨年の夏ごろ、塾長である上沼源治が亡くなり、卒業生でもあった弁護士に委任状を委託していたということだった。遺言では飛翔塾の土地建物を正太郎が譲りうけることになっているが、いまやこのような不動産を持つことは負の資産以外なにものでないことも上沼を知っているはずだった。

それでも敢えてなぜ自分にこのような委任状を残したのか、理由の探求を含めて山中の小屋を訪問したのだが、何の説明もない依頼に枯渇していた正太郎の生命活動は刺激を受けた。

 

飛翔塾の母屋である誇りまみれの畳にあおむけになり天井を仰いだ。

しばらくして小屋の外に出て、大きな深呼吸をすると、何かを決意したようにレンタカーに乗り込み飛翔塾を離れた。

 

『あんな山の中のぼろ小屋に、何の経験もない俺に5人も生徒が集められるだろうか。いったいどうやったらいいのだろう。でも、面白い』

 

正太郎は上沼源治の管財人であり飛翔塾の卒業生がいる弁護士事務所を再度訪問して、奇妙なこの負の財産を相続することを伝えた。

 

弁護士はなぜか手付金ということで、古びた厚みのある封筒を手渡し正太郎は書類にサインをして封筒を受け取る。中には1万円札が30枚ほど入っていて"課題1の手付金"というメモだけが入っていた。