山奥の塾で生徒集め

人里離れた山奥の私塾で生徒を集めることになった話

第一の課題は最大の難問

飛翔塾の母屋には"塾長室"という手書きの板切れが掲げられている。

正太郎は木製の丸テーブルの前で腕組みをして胡坐をかいている。

 

『なにもできない。なにも思い出せない。』

 

そう呟いて壊れかけの出窓の傍の古びた張り紙を見た。

 

”行動がすべてを変える”

 

皮肉にも思える張り紙を引きずりおろすように壁から引き離すと、おそらく30分ぐらいは言葉を体内に取り入るように見入っていた。

 

翌日、車から新品のノートパソコンと大き目のバッグを運び込むと、正太郎はすぐにノートパソコンの電源を入れる。

 

『まずは知ってもらう必要がある。』

 

 正太郎は商社での営業経験から、認知してもらうことがなければ商品が売れないことを知っていた。飛翔塾の認知度を深めるため、あらゆるアイデアを付箋に書き記し、インターネット接続が完了すると、無料のホームページサービスの申し込みを実行した。

電気は通っていたがブロードバンド接続に対応する電話線がつながっていなかたったので、山中でも接続可能なレンタルWifi機器でなんとかインターネット接続をできるようにした。

 

買ったばかりのA4ノートを取り出すと、塾生募集のチラシを作るための原稿を考え始める。アイデアはインターネット検索で似たようなチラシを何枚も目を通し、A4ノートにボールペンでアイデアを書き示す。アナログとデジタルの併用に少し自嘲しながら、あらゆるアイデアを文章化したり、種別が特定できない動物のようなイラストあちこちに書き記している。

 

『まずは知ってもらわないと何も進まない。だけどやみくもに空回りすると後退するから作戦はしっかり立てないと。』

 

数日後、300枚ほどのチラシを前に、正太郎は思惑していた。

どこにどのように告知していくのが良いのかが検討がつかなかったからだ。インターネット上ではホームページを開設して検索エンジンなどを意識しながらブログ記事などを打ち込みだしていて、なんとか飛翔塾の認知度を高める活動を始めたばかりだった。ただ、先の方が靄がかかっているように感じて、行動をすすめることに躊躇いが生まれてきていた。

 

すぐ近隣の村には子供自体が5人いるかもどうかという地域だったし、数キロ離れた町までいっても、生徒自体が集まるほどいるかどうかも期待できないほど過疎化した地域に飛翔塾はあったからだ。

 

そもそもだ、地域間の世帯が密接な地方の自治体では、いきなり私塾の生徒を募集するといっても宗教法人か奇天烈なことをやっている人、という偏見や警戒心を抱かれるのが関の山だ。

 

チラシ投函もやりやすいが、老年夫婦の家々に塾生募集のチラシを配れば無駄な注目を集めることが容易に予想できた。

どうにかして、自然に告知できて認知される方法の思惑を巡らせるが、どうしてもいくつかの点で既成の方法だと頓挫していく。

 

”行動がすべてを変える”

 

正太郎は、上沼が残していた張り紙を手に取り一瞥したあと、塾長室の裏手に流れる小川の縁に腰を下ろした。

すこし溜め込んだ気持ちを開放するだけで、漠然と次の行動へのイメージが浮かんできた。告知からの認知を違和感なく進めるためのよい手順を思いついたからだ。

 その時から正太郎にはやるべきことが大量に発生していたので、あとは行動するのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

届けられた委任状

玄関のドアをあけると配達人は印鑑を要求してきた。

書留郵便をものぐさに受け取った正太郎は、開封することなく机の上に放り置いた。

銀行からの電子口座にかかわるような内容ぐらいしか心当たりがなかったので、差出人も中身もそれから何日かは見る気にもなれなかった。

 

  数日後、書留郵便を思い出した正太郎は、何気なく開封すると中から見覚えのある字で宛名が書かれた封筒が一通でてきた。

 

差出人は正太郎が人生で一番世話になり恩義のある人物からだったが、ここ数十年以上会っていなかった。

 

”委任状”と書かれた封筒から便箋を3枚ほど取り出すと、手紙の内容をすぐに理解した正太郎は管財人として記載されていた弁護士へ電話をする。

翌日に管財人である弁護士事務所を訪れた正太郎は、ある山奥の建物を譲り受けることを知る。

 

委任状に記載されていたことで大体理解はできていたが、弁護士の話を要約すると正太郎は世話になった恩人である上沼源治の私塾である”飛翔塾”の土地と建物を条件付きで相続することになっているということだった。

 

数か月前に10年務めた総合商社が破産してしまい職をなくした正太郎は、どうしても次の仕事先を決めることができず失業手当の支給も終わりかけていた時期でもあり、会社勤めをしていた時であれば判断に迷うこともなかったが、すこし心が揺らいでいる。

 

 

数日後、正太郎は信越地方の山奥のさびれた平屋の建物にいた。ガスや水道は通っておらず、かろうじて電線がだらしなくつながる木造の小屋といえる場所だ。

その近くには同じく平屋があるが、こちらは母屋の3倍程度の広さの建物で、柔道場のような飛翔塾の学舎だ。

 

木製の丸テーブルの上には、"お願いしたい事"というノートが置かれていた。

1ページ目を開いた正太郎には、ただ一行の委任文が記載されている。

 

『飛翔塾の生徒を5人、5月までに集めてください。達成するまでは次のページは決して開かないこと。 上沼源治』

 

達筆だがどこか人柄を思わせる懐かしい文字でしたためられていた。

飛翔塾とは上沼源治が生前、不登校やハンディキャップ持つ子供、どうしても社会になじめない子供などを受け入れて社会参加できるように育てる支援学校だ。

正太郎はこの私塾で育てられ16歳で独り立ちした飛翔塾の卒業生だ。

 

それから数十年、飛翔塾には戻る事はもちろん手紙を書くこともなかった。

どうしても、この塾での厳しい生活を思い出すことから避けていたのだ。

 

昨年の夏ごろ、塾長である上沼源治が亡くなり、卒業生でもあった弁護士に委任状を委託していたということだった。遺言では飛翔塾の土地建物を正太郎が譲りうけることになっているが、いまやこのような不動産を持つことは負の資産以外なにものでないことも上沼を知っているはずだった。

それでも敢えてなぜ自分にこのような委任状を残したのか、理由の探求を含めて山中の小屋を訪問したのだが、何の説明もない依頼に枯渇していた正太郎の生命活動は刺激を受けた。

 

飛翔塾の母屋である誇りまみれの畳にあおむけになり天井を仰いだ。

しばらくして小屋の外に出て、大きな深呼吸をすると、何かを決意したようにレンタカーに乗り込み飛翔塾を離れた。

 

『あんな山の中のぼろ小屋に、何の経験もない俺に5人も生徒が集められるだろうか。いったいどうやったらいいのだろう。でも、面白い』

 

正太郎は上沼源治の管財人であり飛翔塾の卒業生がいる弁護士事務所を再度訪問して、奇妙なこの負の財産を相続することを伝えた。

 

弁護士はなぜか手付金ということで、古びた厚みのある封筒を手渡し正太郎は書類にサインをして封筒を受け取る。中には1万円札が30枚ほど入っていて"課題1の手付金"というメモだけが入っていた。